せつない話/一人で読む本
せつない話 (光文社文庫)有二が来るならそれでいいし、来なくてもよい。
宇禰はそう思っている。
宇禰はそう思っている。
「恋の棺」の宇禰ように、二重人格の残酷さでもって。
一人で本を読みたいからと、ベッドの隣の男を冷たく帰す。
クリスマスの夜に、これ読むから帰って、と男に言いたくなる一冊(笑)
以前紹介した『せつない話 第2集』の第1弾の方です。
「ここに収められている短編小説を読むことは、まさに大人の贅沢であると思う。何度読んでも、新しいせつなさが胸をよぎる。心をおおう繊細な襞が何度も違う種類の涙によって湿って行くのに気がつく。」短編の名手山田詠美が選んだアンソロジー集です。
山田詠美さんの編者あとがき「五粒の涙」が、これまた名文です。
悲しいのだけれど悲しいと呼ぶ程でもない、苦しいのだけれど、それを口に出す程でもない。せつない感情は、涙腺を刺激しながらも五粒は以上の涙で解決することの出来ない複雑なものである。(中略)
それでは「せつない」という感情はどうか。これは味わい難いものである。外側からの刺激を自分の内で屈折させるフィルターを持った人だけに許される感情のムーヴメントである。
それでは「せつない」という感情はどうか。これは味わい難いものである。外側からの刺激を自分の内で屈折させるフィルターを持った人だけに許される感情のムーヴメントである。
このあとがきに出てくる詠美さんの過去の恋人の話が、味わい深い。あとがきというよりほとんど小説のような感じです。
せつないという感情はいつも時間差攻撃でやってくる。その時はなんとも思わなかったはずなのに、ふとした瞬間立ち上ってくる不意打ちの感情。きっと発酵するのに時間がかかるのだろう。そして一旦波がひいてしまうとあやふやでとらえどころのない代物だ。
このアンソロジーの中で私が一番好きなのが山口瞳さんの「庭の砂場」だ。時間差、というのはこういうことだと思う。
一昨年の八月に妹が死んだ。去年の八月に弟が死んだ。二人とも五十四歳だった。
そういうとき、私は、お前は薄情な男なんだと自分に言う。兄弟の間で私の渾名は冷血動物であり、ゲジゲジだった。〜略〜
私は通夜の席や葬式で泣いたことはなかった。
そのぶん、あとになって、いつまでも思いが残るように思われた。
〜
風呂場で頭を洗っているときに、不意に、涙が流れているのを知った。
「これは、頭を洗っている水だけじゃない」と思った。
「俺は、いま、少し泣いているぞ」
この最後の「俺は、いま、少し泣いているぞ」という台詞が、とても胸に沁みる。こういう感情を、小説で手軽に疑似体験するのは、もしかすると本当はずるいのかもしれない。けれど、そういうずるさも小説を読む醍醐味と贅沢なのだ。
本を読み終えて、今更ベッドの隣の空白をせつなく思うのも、男が帰った後だろう。
収録作品
「手品師」 (『吉行淳之介全集・第七巻』講談社) 吉行淳之介
「けものの匂い」 (『妬心』集英社) 瀬戸内晴美
「恋の棺」 (『ジョゼと虎と魚たち』) 田辺聖子
「庭の砂場」 (『庭の砂場』文藝春秋) 山口瞳
「ハワイアン・ラプソディ」 (『悲しき熱帯』) 村上龍
「黒い絹」 (『ぼくはビート』) 山田詠美
「菊の香り」 (『ロレンス短編集』) D・H・ロレンス河野一郎訳
「ジゴロ」 (『絹の瞳』) F・サガン
「マドモワゼル・クロード」 (『吉行淳之介全集第八巻』 )H・ミラー、吉行淳之介訳
「欲望と黒人マッサージ師」 (『呪い』) T・ウィリアムズ 志村正雄訳
「サニーのブルース」 (『出会いの前夜』) J・ボールドウィン 北山克彦訳













