「公序良俗」/自主規制について 規制しているのは誰か

2008/01/26 [土] 22:32 このエントリーを含むはてなブックマーク
「弱者」とはだれか (PHP新書)
放送禁止歌 (知恵の森文庫)放送禁止歌 (知恵の森文庫)



前回の「公序良俗」/初音ミクとエロティックな表現に続くエントリでもあります。

*私はこのデP氏の楽曲削除の経緯については詳しくありません。ちょっと調べただけでも、なんかいろいろありそうで。。。クレームとか。。。なので話は大いに脱線します。この件についてはフォローしていきたいですが。

初音ミクの表現とクリプトンの規制に付いては異論はありません。クリプトンが所有するキャラクターの権利に関する事ですからね。 が。その規制の関する表現の範囲に関しては思うことがあるのでそれに関して雑感を述べたい所存ではあります。 クリプトンは規制のボーダーラインについて放送の基準うんぬんいっておられますが、そもそも放送業界においても何がOKで何がOKでないかという明確な基準はありません。よってそれを持ち出すことは単なる逃げであり、一人相撲ではないかと。 現在テレビで放送禁止とされちる事物・表現に関して、明確に規定する法律はありません。各社が勝手に自主規制しているだけとも言えます。


そこで、初音ミクの件からは離れますが、この自主規制について明確な基準があるのか、また禁止している主体は一体だれなのか、考えてみたいと思います。


ここで紹介しておきたい本があります。放送の自主規制というものを考えるときに参考になる本だと思います。
放送禁止歌 森達也
「弱者」とはだれか 小浜逸郎

そもそも民放の自主規制に関して、規制している主体は見えません。 誰も禁止していないのに、規制している「空気」に負けて実体が見えなくなっているだけです。それは 「放送禁止歌 森達也」を読むとよくわかります。


私の祖母の世代ではおし、めくらといった単語は、差別語ではないようです。今は祖母も祖父もいませんが、彼らと会話のなかでこれらの言葉は普通に出てきました。私が、「おばあちゃん、そういう言葉は今はあんまり使わんほうがええよ」と言ってもよく解らないようでした。


うちの父ともよく話してしていました。そもそも言葉、単語自体に差別する意図は無かったのです。 例えば「部落」という単語は現在放送に載ることはめったにありませんが、言葉そのものに差別する意図はありません。 その文脈の中で「あの」部落という、ニュアンスを付加されることで「差別語」と認識が広まってきたものだと思います。本来、「部落」という単語には「村落」という意味だけだったはずです。(周りの年配者に聞いた限り) そもそも私達の世代では「部落差別?」っていう感覚でしたからね、教わるまでは。


自主規制というのは、独り相撲に過ぎないのかも知れない。今の放送自粛、放送禁止などは、脊髄反射的に「用語」「単語」レベルで「これはダメ」と決めている嫌いがあります。その単語そのものの本来の意味やその言葉が使われている背景を考えることなしに。


やはり「空気」に負ける時代になってきているのでしょうか。

要するにこういう言葉に、ついて、真剣に考えたい。空気を読むのではなく、ね。

「しかし、私は、一方に過剰な規制が幅を利かせ、他方には平気で出回ることが許される、そうした文化全体の分裂した構造そのものどう評価したらよいかというところに関心を引きつけられる。 つまり、マスメディアが行う用語の規制という情報操作は、どれほどの妥当性を持っているのか、なぜ、こういうことになったのか、こういうことに意味があるのかないのかを、きちんと考えておきたいのである。」
(「弱者」とは誰か)
TB:
404 Blog Not Found:VOCALOIDはただの道具です
今日の初音ミク&鏡音リン・レン&VOCALOID - 覚え書きオブジイヤー

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