コミュニティの匿名性と公共性
[OGC2008#03]「2ちゃんねる」と「ニコニコ動画」のひろゆき氏が語る,ゲーム・コミュニティ・文化
というひろゆきさんのインタビュー記事が面白い。
今、私が興味があるのはテクストと書き手の関係性。テクストと書き手は分離した方が面白いなと。
誰が書いてるとかどうでもよくて、書かれている言葉、情報のみだけでテクストの価値を判断する。テクスト至上主義というか。
まあそんな事考えていると、ブログ書くモチベーションなくなっちゃうんですけどねw
書き手の同一性は本人だけが自覚していれば良いだけの話で、それで自分の中のプライドとか満足感も得られる。
読み手は同一性とか、書いてるひとがどんな人だとかどうでもいい人が多いんじゃないかと思います。
誰が書いているのか関心が出てくれば調べれられる。こういうゆるーい感じの匿名性、属人性がブログはちょうどいい。
匿名だと無責任だと言う人もいますが、それは書き手にプライドがないだけなんじゃないかと。
たとえ匿名でも自分にとって恥ずかしい書き方では書きたくない。公共性がないとも言われるけれど、そんなに公共性が確固としたものだとも思えない。何が公共であるかはすぐに揺らぐ。大きな物語による支配は難しい時代になった、特にネットでは。
2ちゃんねるが殺伐としたコミュニケーションの場であるのは、馴れ合いによるノイズを排除するためだと、ひろゆきさんがどこかで以前仰っていました。ニコニコ動画も動画のアップ主や、コメントする人の属人性は見えないように、匿名性を高くしてあります。クリックすればIDみれるし、コメントのIDも分かるんですが、パッと見では分からない仕様。それでいてニコニコ動画では、大きな物語を失った若い世代が自分たちの共通前提を造りだそうとしているのが面白い。
というひろゆきさんのインタビュー記事が面白い。
ひろゆき氏:
人間に興味があるんじゃなくて,どちらかというと知識に興味があるんですよね。「この話をしたい」とか「こういう情報を知りたい」とか,目的は人間じゃなくてあくまで情報なんです。情報のやりとりをする場として「2ちゃんねる」を作っているので。「いま発言しているこの人が,本業としては何をしているか」なんていう,「この人に関する情報」には興味がない。だから,それを削ぎ落とした形になってるんですよ。
4Gamer:
そういった意味で,「2ちゃんねる」は,純粋な情報交換ができる場として価値があると。
ひろゆき氏:
そしてその場合,肩書きは邪魔になります,例えば僕が言っちゃうと,もう正しいんだと思い込んじゃう人って,やっぱりいるんですよね。「私は大学教授です」って書いちゃえば,「大学教授が書いているんだから正しいだろ」って信じてしまう人がいるけれども,それと情報の信頼性は本来違うはずです。
匿名でいながら説得力のある人って,結局情報ソースを持っていたりとか,合理的に結論を導いていたりとか,誰が見ても納得できる理由を持っているわけです。情報としてはそっちのほうが信頼性が高くなるんじゃないのかなと思っているんですけど。
ひろゆき氏:
それがたぶん彼らの求めているものであって,ほんわかした雰囲気が好きな人達は,ほんわかした雰囲気の掲示板を作ればいいし,誹謗中傷や罵倒しあうのが楽しいと思う人達は,それで楽しめばいいし。
作っている僕の目的がお金を取ることなら,コントロールする必要があるんですけど,中の人が満足しているなら別にかまわないというポジションを取っているので,そういう意味では全部安定しているという感じに,僕には見えるんですよ
人間に興味があるんじゃなくて,どちらかというと知識に興味があるんですよね。「この話をしたい」とか「こういう情報を知りたい」とか,目的は人間じゃなくてあくまで情報なんです。情報のやりとりをする場として「2ちゃんねる」を作っているので。「いま発言しているこの人が,本業としては何をしているか」なんていう,「この人に関する情報」には興味がない。だから,それを削ぎ落とした形になってるんですよ。
4Gamer:
そういった意味で,「2ちゃんねる」は,純粋な情報交換ができる場として価値があると。
ひろゆき氏:
そしてその場合,肩書きは邪魔になります,例えば僕が言っちゃうと,もう正しいんだと思い込んじゃう人って,やっぱりいるんですよね。「私は大学教授です」って書いちゃえば,「大学教授が書いているんだから正しいだろ」って信じてしまう人がいるけれども,それと情報の信頼性は本来違うはずです。
匿名でいながら説得力のある人って,結局情報ソースを持っていたりとか,合理的に結論を導いていたりとか,誰が見ても納得できる理由を持っているわけです。情報としてはそっちのほうが信頼性が高くなるんじゃないのかなと思っているんですけど。
ひろゆき氏:
それがたぶん彼らの求めているものであって,ほんわかした雰囲気が好きな人達は,ほんわかした雰囲気の掲示板を作ればいいし,誹謗中傷や罵倒しあうのが楽しいと思う人達は,それで楽しめばいいし。
作っている僕の目的がお金を取ることなら,コントロールする必要があるんですけど,中の人が満足しているなら別にかまわないというポジションを取っているので,そういう意味では全部安定しているという感じに,僕には見えるんですよ
今、私が興味があるのはテクストと書き手の関係性。テクストと書き手は分離した方が面白いなと。
誰が書いてるとかどうでもよくて、書かれている言葉、情報のみだけでテクストの価値を判断する。テクスト至上主義というか。
まあそんな事考えていると、ブログ書くモチベーションなくなっちゃうんですけどねw
書き手の同一性は本人だけが自覚していれば良いだけの話で、それで自分の中のプライドとか満足感も得られる。
読み手は同一性とか、書いてるひとがどんな人だとかどうでもいい人が多いんじゃないかと思います。
誰が書いているのか関心が出てくれば調べれられる。こういうゆるーい感じの匿名性、属人性がブログはちょうどいい。
匿名だと無責任だと言う人もいますが、それは書き手にプライドがないだけなんじゃないかと。
たとえ匿名でも自分にとって恥ずかしい書き方では書きたくない。公共性がないとも言われるけれど、そんなに公共性が確固としたものだとも思えない。何が公共であるかはすぐに揺らぐ。大きな物語による支配は難しい時代になった、特にネットでは。
2ちゃんねるが殺伐としたコミュニケーションの場であるのは、馴れ合いによるノイズを排除するためだと、ひろゆきさんがどこかで以前仰っていました。ニコニコ動画も動画のアップ主や、コメントする人の属人性は見えないように、匿名性を高くしてあります。クリックすればIDみれるし、コメントのIDも分かるんですが、パッと見では分からない仕様。それでいてニコニコ動画では、大きな物語を失った若い世代が自分たちの共通前提を造りだそうとしているのが面白い。











