『赤い長靴』江國香織/物語と遠いコミュニケーション

2008/03/24 [月] 00:02 このエントリーを含むはてなブックマーク Yahoo!ブックマークに登録
赤い長靴 (文春文庫 え 10-1)
赤い長靴 (文春文庫 え 10-1)江國 香織

文藝春秋 2008-03-07
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出版社 / 著者からの内容紹介
夫の背中に向かってひとり微笑む日和子。危ういけれどかけがえのない、夫婦というもの。江國ワールドが新展開する注目の連作短篇
内容(「BOOK」データベースより)
それから日和子は笑いだしてしまう。くすくすと、そしてからからと。笑うことと泣くことは似ている。結婚して十年、幸福と呼びたいくらいな愉快さとうすら寒いかなしみ、安心でさびしく、所在なく…。日々たゆたう心の動きをとらえた怖いくらいに美しい、連作短篇小説集。



―どうしてあなたはには言葉が通じないの?
―あなたはここにいるのに、いないみたいよ。
―わたしたち、二人でいると二人ともさびしくなるのよ。


妻が一人で喋り、夫は黙り相槌を打つだけ。どこにでもある、ありふれた夫婦の光景だ。『赤い長靴』は、そうした夫婦の、幸福と不穏が交錯する静かな日常を描いた連作短編集だ。


どこか世界に馴染めない、居心地の悪さを抱いている妻の日和子と、自分と世界の間に膜を感じている夫の逍三。二人は、世間からは仲の良い夫婦と見られている。一見幸福そうな、平和な夫婦だけれど、実はぎりぎりのところでバランスを保っている。夫婦の「ほんとうのこと」を突き詰めることには、危険が潜んでいるのだ。
噛み合わない会話。妻が見ているもの、聞いている言葉。夫が見ているもの、聞いている言葉。同じ場所にいるのに、それぞれが存在する世界が違うかのように、ちぐはぐになってしまう。
かといって、大きな喧嘩をするわけでもなく、ましてやどこぞのドラマのように不倫に堕ちたりするわけでもない。淡々と表面は波立たずに、不穏な影は日常に美しくひそんでいる。

この小説は江國さんの結婚生活を綴ったエッセイ『いくつもの週末 』(集英社文庫)とよく似ている。どちらも通じるテーマであるし、似たような思索やエピソードがいくつか出てくる。
ほんとうに、しみじみとそう思う。 そうして、それなのにどうしてもついくっついてしまうのだ。 二人はときどき途方もなく淋しい (一人の孤独は気持ちがいいのに、二人の孤独はどうしてこうもぞっとするのだろう)。
(『いくつもの週末 』「月曜日」より)

というくだりなどは上の『赤い長靴』からの引用と符合すると言っていいだろう。エッセイと小説の違いとは、ノンフィクションとフィクションと言ってしまえばそれまでだが、もっと決定的な何かが違う気がする。主人公というキャラクターが生まれるとき、物語が始まるのだと思う。エッセイの「私」でもない、架空の「私」。


物語は日常のあちこちに転がっている。
逍三のいる場所でよりいない場所で、自分は夫を愛しているのだ。
架空の夫。その考えに、うすら寒いかなしみをおぼえる。でもたぶん現実の夫よりも架空の夫に、自分はより多く守られ、より多く依存している。

物語とはつまり思い出であるのなら、人は物語の中でしか、人を愛せず幸福を得られないのかも知れない。人は誰もが,不在の誰かの思い出という物語の中で、愛す。現実のコミュニケーションは案外遠いものだ。


それでも、世界に対し違和感を持ち続けている日和子と逍三は、お互いだけがお互いを世界から守る味方同士なのだ。結婚とは依存を互いに許すという、契約なのだなと改めて思った。
  *              *            *
始まりから終わりまで、余計な言葉が一つもない、すべてがこの物語にとって必要な、完璧な文章。江國さんの小説を読む度にその文章の巧さに圧倒されるが、今回は特にそれを強く感じた。江國さん独特の少女の傲慢さを感じさせる文体も、稀にやりすぎだと感じる作品もあるが、今回は嫌味なくぴったりだ。これは私にとって必要な物語。きっとまた、読み返すことになるだろう。

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