『古語雑談』佐竹昭宏/言葉の魔法

2008/04/02 [水] 20:22 このエントリーを含むはてなブックマーク Yahoo!ブックマークに登録
古語雑談古語雑談
佐竹 昭広

岩波書店 1986-09
売り上げランキング : 422738

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

随分と古い本を引っ張り出してきた。アマゾンの新刊の在庫もないところをみると既に絶版であろう。古本屋さんかオークションでしかないみたい。

古語についての雑談をするということは、古語について「はなし」をするということである。少なくとも「はなし」という語のもとの意味に即していえば、そういうことになる。

という書き出しで始まる本書は、国文学者である著者の古語をめぐる思索を雑談形式で綴ったものである。岩波新書ということでお堅い文章かと思われるが、古語について語るということそれ自体がおおらかで優美なように、平易な文体で読みやすい。即妙に知的好奇心の赴くまま「はなし」を連鎖していく著者は、言葉に対して徹底的に誠実で純粋だ。



私が特に好きなのは
「はなしは庚申の晩」「かなしき時は身一つ」「二色の虹」「花ぞ昔の香ににほひける」の項だ。

「香」は嗅覚に属する語である。「にほふ」は元来視野に属する語であった。

ここまでは高校レベルの古文の授業でも習ったが、万葉集の時代から、現在の匂いにつながる徴候があったというのは興味深い。
嗅覚に属する事がらを感性領域の全く違う視覚の語を持って表現するとは奇妙なことであるが、心理学で共感覚と呼ばれる現象に根ざす言語表現は、古今東西を問わず普遍的にある。「にほへる香」などもその一つに過ぎない。だからといって、自己の作品の中で積極的にかつ自覚的に「にほふ」を嗅覚化して用いた家持が、その転用を中国の詩文から学び取ったという可能性までを否定することはできないし、また否定する必要もない。


「二色の虹」の日本人の色彩概念に関する考察も面白い。曰く

どのような色であれ、日本人は究極的には「青し」「赤し」「白し」「黒し」という四つの範疇によってその色を分類する。日本人は七色の虹を最終的には「赤」と「青」に二分してしまう民族なのだ。
地方や年輩の方と話すと、色の使う範囲が異なって通じないということがある。そうした日常体験からも感覚的に理解できると思う。そしてそれは決して欠けているのでも未分化なのでもなく、ただただそういう概念がないというだけであり、誤用でもなんでもない。


言葉の誤用や新しい使い方を「日本語の乱れ」とヒステリックに嘆くより、こうして優雅に言葉の思索をしているほうが、はるかに愉しい。現在とは違う言葉の意味を知ると、その飛躍と連想に「ああ確かにそういう感じがする」と納得させられるから不思議だ。言葉は魔法なのかもしれない。この「飛躍」するというところが魔術的なのだ。
受験勉強では単語帳的に外国語のように古語を暗記しろという古文教師もいるが、それは違うと思う。そうしないと勉強しにくいというのは解るが、やはりどこかで「つながっている」という不思議を味わうべきだろう。


本の話・文庫・新書  |  この記事のurl  | コメント(0)  |  トラックバック(0)  | 編集
url:http://blog.fumizekka.com/archive/288

 トラックバック

トラックバックURL
この記事にリンクする?

 コメントする

名前:
e-mail:
url:


クッキーに保存

 コメント


Global Media Online INC.
ブログヤプース!ヤプログ!