『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』江國香織/江國作品の死の匂い
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安全でも適切でもない人生の中で、愛にだけは躊躇わないあるいは躊躇わなかった10人の女たち。愛することの喜び、苦悩、不毛……。第15回山本周五郎賞受賞の傑作短篇集。(解説・山田詠美)
山田詠美さんの解説が読みたくて、文庫を買ってしまった。江國香織の『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』は山本周五郎賞を受賞しており、そのときの選考委員が詠美さんで、『小説新潮」を買って読んでいた。確かその前々回の『ぼっけえ、きょうてえ』が受賞した回に『神様のボート』がノミネートされていて、その時から選考に詠美さんが参加されていたように記憶している。山本周五郎賞は当時ユニークな選考発表方法をとっており、選考のための座談会をほぼ全部会話形式で掲載していた。それが面白くて注目していたのだ。江國さんが受賞した回もとても面白いので,興味ある方は図書館で『小説新潮」のバックナンバーを当たってみるのもいいかも。ただ、結構前なので見つけにくいかなあ。私も探してみて見つけたら、座談会の要旨を追記でアップしようと思います。
* * *
いつの頃からか、江國香織の小説では「海」とか「ボート」とか「航海」といった言葉が、恋愛のあるいは人生の危うさを表すキーワードになっていた。神様のボート、海へ行くつもりじゃなかった、航海日誌のようなもの(『いくつもの週末』)・・・。そして『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』である。
この短編集は、一見平易な言葉で書かれた、かわいらしい恋愛小説のように思えるが、実は江國作品のなかでもかなり危険で狂気に満ちた作品なのではないだろうか。それにこの小説集からは、死の匂いが色濃く感じられる。なんだかとってもやばいもの。怖い小説を読んでしまったというのが第一印象だ。死。人の死。恋の死。人生の死。うしなうということ。喪失の悲しみと、それを自覚する瞬間の妙な冷静さ、そして束縛からの解放感。死は自由であり、と同時に新たな不自由を生む。ここに出てくる人たちは皆、人生の安全でも適切でもない場所へ行き着いてしまった人たちだ。「動物園」の主人公の母親の言葉を借りるなら「どうかしている」恋。果物のように濃密で、動物のように健やかでふしだらな性愛。そこで息づく男女は、世間一般からすればどこか壊れてるとも言える。こういう恋愛は、たいてい病気になる。だから、安易におすすめは出来ない。けれど、人生に予定などないように、不意にそれは訪れ、絡め取ってしまうのだ。
例えば「ジェーン」を読みながらこんなことを思う。私がまだ10代の頃、父親のような年齢の男が私にこう言った。「昔から、ジゴロになるのが夢だったんだよ」「あなたが働いて帰ってきて、私が料理を作って待つ。いいプランじゃない。将来養ってよ」
いい歳して何を言うのかと、二人で笑った。もちろんきちんとした職についていたが、確かに彼はジゴロになりそうな雰囲気を持っていた。ふざけた男だ。その無邪気さで私を傷つける。この向坂さんみたいに。向坂さんみたいに未成年者との淫行で捕まればいいのに。私にそうしたんだから。
悪意をこめて思う。そしてそれを振り払うように冷静さを取り戻す。残酷な気持で思い出す過去は、いつだって私に優しい。
「犬小屋」はこの中で一番怖いと思った作品だ。ちゃんとした、うしろめたいところのない男女関係なのに、だからこそ女は男を追い詰めてしまう。所有するということは失う恐怖をもつということだ。かつて自分もそうだったのかもしれない、あるいはこれからそうなるのではと、自戒をこめて読んだ。
詠美さんの解説の最後にはこう書かれてるいる。
泳ぎだしてしまった人は、帰ってくる場合もあるし、そのまま帰ってこない場合もある。自分のたてた水しぶきの光のまぶしさはその人を行き先を決める枷となるのだろうか。執着か、解放か。
いずれにせよ、飛び込む岸辺の波は、不意打ちでやってくるのでご注意を。
* * *
蛇足ですが、山田詠美さんがこの本、集英社文庫の解説を書かれているのでちょっと、驚いた。彼女は確か集英社から版権を引き上げているはずだ。絶縁状態かと思っていたけどそうでもないのかな。自作品の出版ではなく解説文の仕事だから関係ないのかも知れない。もう昔のことだし。その当時の経緯は昔のエッセイ(『セイフティボックス』だったけ?(いや違うかも))で少し書かれていたが、あんまり具体的には書かれていなかった。集英社という名前も出てなかった。(「S,新潮社でも小学館でもなくそのお隣」と、バレバレではあったが)『熱帯安楽椅子』以来集英社からの刊行はない。まあ集英社の編集者の不祥事は他にも聞いたことあるし、社の体質もあるのかなあ。集英社の本、漫画も小説も好きなのいっぱいあるんですが。これについてはまた別エントリで。
この短編集は、一見平易な言葉で書かれた、かわいらしい恋愛小説のように思えるが、実は江國作品のなかでもかなり危険で狂気に満ちた作品なのではないだろうか。それにこの小説集からは、死の匂いが色濃く感じられる。なんだかとってもやばいもの。怖い小説を読んでしまったというのが第一印象だ。死。人の死。恋の死。人生の死。うしなうということ。喪失の悲しみと、それを自覚する瞬間の妙な冷静さ、そして束縛からの解放感。死は自由であり、と同時に新たな不自由を生む。ここに出てくる人たちは皆、人生の安全でも適切でもない場所へ行き着いてしまった人たちだ。「動物園」の主人公の母親の言葉を借りるなら「どうかしている」恋。果物のように濃密で、動物のように健やかでふしだらな性愛。そこで息づく男女は、世間一般からすればどこか壊れてるとも言える。こういう恋愛は、たいてい病気になる。だから、安易におすすめは出来ない。けれど、人生に予定などないように、不意にそれは訪れ、絡め取ってしまうのだ。
例えば「ジェーン」を読みながらこんなことを思う。私がまだ10代の頃、父親のような年齢の男が私にこう言った。「昔から、ジゴロになるのが夢だったんだよ」「あなたが働いて帰ってきて、私が料理を作って待つ。いいプランじゃない。将来養ってよ」
いい歳して何を言うのかと、二人で笑った。もちろんきちんとした職についていたが、確かに彼はジゴロになりそうな雰囲気を持っていた。ふざけた男だ。その無邪気さで私を傷つける。この向坂さんみたいに。向坂さんみたいに未成年者との淫行で捕まればいいのに。私にそうしたんだから。
悪意をこめて思う。そしてそれを振り払うように冷静さを取り戻す。残酷な気持で思い出す過去は、いつだって私に優しい。
「犬小屋」はこの中で一番怖いと思った作品だ。ちゃんとした、うしろめたいところのない男女関係なのに、だからこそ女は男を追い詰めてしまう。所有するということは失う恐怖をもつということだ。かつて自分もそうだったのかもしれない、あるいはこれからそうなるのではと、自戒をこめて読んだ。
詠美さんの解説の最後にはこう書かれてるいる。
もう一度、冒頭に戻ってみる。泳ぐのに、安全でも適切でもない所に、あえて飛び込んでしまったらどうなるか。たぶん、溺れて死んでしまうのである。それは、不幸か。その寸前に、水の中から見た、自分のたてたスプラッシュが、あまりにも忘れがたい光を反射していたら?それを目にした本人だけが知ることだ。江國さんの小説には、人の死だけでない、いろいろな死が点在している。安全でも適切でもない瞬間にだけ存在するかけがえのない死である。
泳ぎだしてしまった人は、帰ってくる場合もあるし、そのまま帰ってこない場合もある。自分のたてた水しぶきの光のまぶしさはその人を行き先を決める枷となるのだろうか。執着か、解放か。
いずれにせよ、飛び込む岸辺の波は、不意打ちでやってくるのでご注意を。
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蛇足ですが、山田詠美さんがこの本、集英社文庫の解説を書かれているのでちょっと、驚いた。彼女は確か集英社から版権を引き上げているはずだ。絶縁状態かと思っていたけどそうでもないのかな。自作品の出版ではなく解説文の仕事だから関係ないのかも知れない。もう昔のことだし。その当時の経緯は昔のエッセイ(『セイフティボックス』だったけ?(いや違うかも))で少し書かれていたが、あんまり具体的には書かれていなかった。集英社という名前も出てなかった。(「S,新潮社でも小学館でもなくそのお隣」と、バレバレではあったが)『熱帯安楽椅子』以来集英社からの刊行はない。まあ集英社の編集者の不祥事は他にも聞いたことあるし、社の体質もあるのかなあ。集英社の本、漫画も小説も好きなのいっぱいあるんですが。これについてはまた別エントリで。








確かにジェットコースターみたいで楽しい。でもやっぱり身体に悪いだろうしおすすめは出来ない。
映画とは違った詩史さんの造形に深い感動

エキセントリックなユーモアが気に掛かる

読みやすくはある










