『古道具中野商店』 川上弘美/川上さんの突然
| 古道具中野商店 (新潮文庫 か 35-7) | |
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内容(「BOOK」データベースより) 東京の西の近郊の小さな古道具屋でアルバイトをする「わたし」。ダメ男感漂う店主・中野さん。きりっと女っぷりのいい姉マサヨさん。わたしと恋仲であるようなないような、むっつり屋のタケオ。どこかあやしい常連たち…。不器用でスケールちいさく、けれど奥の深い人々と、懐かしくもチープな品々。中野商店を舞台に繰り広げられるなんともじれったい恋、世代をこえた友情。幸福感あふれる最新長篇。
「だからさあ、そこの醤油さし取ってくれる」と、つい先ほども突然言われて、驚いた。
「役に立つ皿 役に立つ棚 役に立つおとこー」と妙な節まわしで突然歌い始めたので、びっくりした。
「役に立つ皿 役に立つ棚 役に立つおとこー」と妙な節まわしで突然歌い始めたので、びっくりした。
川上さんの小説には「え」と言う台詞が多い。解説で「びっくり文学」と表現されているが、まさにそんな感じ。
「え」、「え」、「え」、「え」、「え」・・・。(解説によると本書では23回)
「突然」へんなものが現れたり、起ったりする。それなのに、川上ワールドではそれがとても自然なように、もっともらしく感じられ、「え」と驚きつつもその「へんさ」になあなあに曖昧に馴染んでいく。川上ワールド的な「へんなもの」も小道具として馴染んでくると、今度は川上ワールドには似つかわしくない単語が飛び出てくる。「アユ」(浜崎あゆみ)「ピーシー」・・・。こういった違和感を多層的に繰り出してくる巧みさも川上さんの得意技である。エロティックな言葉が急にぽんと出てくるのも面白い。読者は鮮やかな飛躍に、まったく「びっくり」してしまう。
この小説は、中野商店という古道具屋を舞台に、世代の離れた4人の恋やら友情を交えた日々を描いた物語だ。古道具屋と言っても、お洒落な骨董屋というわけではなく、文字通りの「古道具」を扱う店である。ちゃぶ台、古い扇風機、エアコン、オニキスまがいの亀や兎の文鎮・・・等々が所狭しと並ぶ。
中野商店に集う客もまたあやしく、この店の独特のへんな空気を形作る。だめな男っぷりがいい店主の中野さんは、だらしないくせにやけに女にもて、色恋沙汰が絶えない。対照的に、恋愛(あるいは人間関係そのもの)に不器用な「はっきしない」タケオと、「わたし」は恋愛らしきものを始めるが、どこかぎくしゃくとしてしまう。私は始め、このタケオと主人公の恋は傍らの恋で、まあちょっとこういうこともありますよという程度に思っていた。タケオの存在感も茫洋として輪郭もはっきりしなかった。けれど、主人公がどんどん入れ込んでいくのにつれて、タケオの姿が濃く立体的になっていった。「人間は、こわい」というタケオ。そんなタケオを怖いと思う「わたし」。おなじ「こわい」といっても、この二人の怖さは違う質のものだ。ちがう。ちがう。ちがう人間。違うということがこんなにも寂しくて悲しいものだなんて。
「わたし」がマサヨさんの前で涙をぼろぼろと流すシーンは、とても心が洗われる。無理しなくていいんだよと誰かに承認されることで、タケオとのことやいろいろなことが胸につっかかっていたものを吐き出すことが出来るのだ。泣いているということを自覚するということ、それを見てくれている人がいるとということの安心感。
この中野商店はただのへんてこなあやしいお店のように見えるけれど、世間とずれ浮世離れしている分、彼らを「世の中」といったものから守る、モラトリアムなシェルターであるとも言える。
そう考えると、バイトの二人(タケオとわたし)の宙ぶらりん感も納得できる。ここに集まる人はどこか、とどめておきたいものを、停滞した時間を抱えた人達ばかりだ。古道具屋が舞台なのもなんとなくわかるような気がする。けれど、モラトリアムは永遠には続かない。そして中野商店にも解散が訪れる。
と物語の終盤、「わたし」は感慨にふける。
その後の4人は、OLになったり、ウェブデザイナーになったり、西洋アンティーク店「なかの」を開いたり、カルチャースクールの講師になったりする。その変化を成長とは呼びたくないが、過ぎ去っていくものをとどめておけないのが世の常なのだと自分を納得させることにする。それは、すこし、寂しい。せつない苦みと同時にある種の爽快感のあるラスト。それでも、「中野商店は、不滅です」と言ってのける中野さんにふふふと笑ってしまうのだった。
TB:ぱんどらの本箱 川上弘美【古道具 中野商店】
川上弘美さん的なもの: ゆっくりと時間をかみしめる
「え」、「え」、「え」、「え」、「え」・・・。(解説によると本書では23回)
「突然」へんなものが現れたり、起ったりする。それなのに、川上ワールドではそれがとても自然なように、もっともらしく感じられ、「え」と驚きつつもその「へんさ」になあなあに曖昧に馴染んでいく。川上ワールド的な「へんなもの」も小道具として馴染んでくると、今度は川上ワールドには似つかわしくない単語が飛び出てくる。「アユ」(浜崎あゆみ)「ピーシー」・・・。こういった違和感を多層的に繰り出してくる巧みさも川上さんの得意技である。エロティックな言葉が急にぽんと出てくるのも面白い。読者は鮮やかな飛躍に、まったく「びっくり」してしまう。
この小説は、中野商店という古道具屋を舞台に、世代の離れた4人の恋やら友情を交えた日々を描いた物語だ。古道具屋と言っても、お洒落な骨董屋というわけではなく、文字通りの「古道具」を扱う店である。ちゃぶ台、古い扇風機、エアコン、オニキスまがいの亀や兎の文鎮・・・等々が所狭しと並ぶ。
新しかったりこぎれいだったりすることが、価値を減らす、へんな世界。
中野商店に集う客もまたあやしく、この店の独特のへんな空気を形作る。だめな男っぷりがいい店主の中野さんは、だらしないくせにやけに女にもて、色恋沙汰が絶えない。対照的に、恋愛(あるいは人間関係そのもの)に不器用な「はっきしない」タケオと、「わたし」は恋愛らしきものを始めるが、どこかぎくしゃくとしてしまう。私は始め、このタケオと主人公の恋は傍らの恋で、まあちょっとこういうこともありますよという程度に思っていた。タケオの存在感も茫洋として輪郭もはっきりしなかった。けれど、主人公がどんどん入れ込んでいくのにつれて、タケオの姿が濃く立体的になっていった。「人間は、こわい」というタケオ。そんなタケオを怖いと思う「わたし」。おなじ「こわい」といっても、この二人の怖さは違う質のものだ。ちがう。ちがう。ちがう人間。違うということがこんなにも寂しくて悲しいものだなんて。
「わたし」がマサヨさんの前で涙をぼろぼろと流すシーンは、とても心が洗われる。無理しなくていいんだよと誰かに承認されることで、タケオとのことやいろいろなことが胸につっかかっていたものを吐き出すことが出来るのだ。泣いているということを自覚するということ、それを見てくれている人がいるとということの安心感。
この中野商店はただのへんてこなあやしいお店のように見えるけれど、世間とずれ浮世離れしている分、彼らを「世の中」といったものから守る、モラトリアムなシェルターであるとも言える。
そう考えると、バイトの二人(タケオとわたし)の宙ぶらりん感も納得できる。ここに集まる人はどこか、とどめておきたいものを、停滞した時間を抱えた人達ばかりだ。古道具屋が舞台なのもなんとなくわかるような気がする。けれど、モラトリアムは永遠には続かない。そして中野商店にも解散が訪れる。
なんというか、これが世の中ってものだったよね、という、現実に引き戻された感じ。中野商店が解散になって以来、ことあるごとに身にしみる、この感じ。
と物語の終盤、「わたし」は感慨にふける。
その後の4人は、OLになったり、ウェブデザイナーになったり、西洋アンティーク店「なかの」を開いたり、カルチャースクールの講師になったりする。その変化を成長とは呼びたくないが、過ぎ去っていくものをとどめておけないのが世の常なのだと自分を納得させることにする。それは、すこし、寂しい。せつない苦みと同時にある種の爽快感のあるラスト。それでも、「中野商店は、不滅です」と言ってのける中野さんにふふふと笑ってしまうのだった。
TB:ぱんどらの本箱 川上弘美【古道具 中野商店】
川上弘美さん的なもの: ゆっくりと時間をかみしめる
大晦日/おめでとう 川上弘美
おめでとう (新潮文庫)西暦三千年一月一日のわたしたちへのことば。
おめでとう、とあなたは言いました。おめでとう。まねして言いました。それからまた少しぎゅっとしました。忘れないでいよう、とあなたが言いました。何を、と聞きました。今のことを。今までのことを。これからのことを。あなたは言いました。忘れないのはむずかしいけれど、忘れないようにしようとわたしも思いました。
おめでとう、とあなたは言いました。おめでとう。まねして言いました。それからまた少しぎゅっとしました。忘れないでいよう、とあなたが言いました。何を、と聞きました。今のことを。今までのことを。これからのことを。あなたは言いました。忘れないのはむずかしいけれど、忘れないようにしようとわたしも思いました。
大晦日。年末年始は、形だけでも大反省&大宣言大会をしたくなりますね。
大晦日なんて錯覚だと言ったのは内田百間先生ですが、本当にその通り。明日になっても何も変わらない。いつものように今日が昨日に、明日が今日になるだけだ。
けれど、お正月のあの境目はなんなんだろう、確かにある、という気がする。というようなことを江國香織さんもエッセイで仰っていたのを思い出した。
年という単位で、日付が一からリスタート出来る、というのが人間にとって気休めになっている。何か新しいものに希望を見出し、気を紛らす。でないと生きていくのってしんどいもんね。ただ時間が加算されていくだけじゃあ。
そう、現実を生に見るのは、怖い事なのだと思う。何かフィルターをかけて見ないと現実は残酷過ぎる。というか生の物理的世界にフィルターをかけて適度な現実に仕立てているといった方がいいか。
なーんて気分の年末年始に読みたい小説が、川上弘美さんの『おめでとう』。
短編集なんですが、表題作の「おめでとう」という作品は元旦の朝日新聞(朝日じゃないかも)に掲載されたものです。時間と、夢と、現をたゆたう川上ワールドが堪能できる一冊です。
人との出会いにはいろいろな種類があるが、私はいつも恋の始まりに、終わり、を見てしまう。それは恐れるものでもあるが、終わりがあると知ることで、何故か安心する。この『おめでとう』で描かれる恋も、別れを予感させる物語だ。あれが二人にとってしあわせだったのかもしれないという、時間がある。その、何事も過ぎていくのだという悲しみが、心をぽっかりと照らす。でもそれは明るい悲しさだ、すがすがしいまでに。
想像するに、永遠に続くしあわせというものは、不安で、重たいだろう。だってあり得ないから。終わりが見えないまま、いつ終わるのか不安に苛まれる方が、きっと怖い。それにいつか自分がそのしあわせに飽き、疎ましく思う日が来るかも知れない。
タイムリミットがあるからこそ、安心できる。一年も終わりがあるからやっていけるのかもしれない。人生の本当の重みは見ていられないもの。
そう、現実を生に見るのは、怖い事なのだと思う。何かフィルターをかけて見ないと現実は残酷過ぎる。というか生の物理的世界にフィルターをかけて適度な現実に仕立てているといった方がいいか。
なーんて気分の年末年始に読みたい小説が、川上弘美さんの『おめでとう』。
短編集なんですが、表題作の「おめでとう」という作品は元旦の朝日新聞(朝日じゃないかも)に掲載されたものです。時間と、夢と、現をたゆたう川上ワールドが堪能できる一冊です。
人との出会いにはいろいろな種類があるが、私はいつも恋の始まりに、終わり、を見てしまう。それは恐れるものでもあるが、終わりがあると知ることで、何故か安心する。この『おめでとう』で描かれる恋も、別れを予感させる物語だ。あれが二人にとってしあわせだったのかもしれないという、時間がある。その、何事も過ぎていくのだという悲しみが、心をぽっかりと照らす。でもそれは明るい悲しさだ、すがすがしいまでに。
想像するに、永遠に続くしあわせというものは、不安で、重たいだろう。だってあり得ないから。終わりが見えないまま、いつ終わるのか不安に苛まれる方が、きっと怖い。それにいつか自分がそのしあわせに飽き、疎ましく思う日が来るかも知れない。
タイムリミットがあるからこそ、安心できる。一年も終わりがあるからやっていけるのかもしれない。人生の本当の重みは見ていられないもの。
センセイの鞄 川上弘美

(「BOOK」データベースより)
「センセイ」とわたしが、過ごした、あわあわと、そして色濃く流れゆく日々。川上弘美、待望の最新長篇恋愛小説。
「ツキコさん、デートをいたしましょう」
ああ、私もセンセイに頭を撫でられたり、デートに誘われたい!と思った女性読者はたくさんいたのではないだろうか。非常に美しい、ふたりの関係。これは恋愛なんだろうか。どちらかといえば、友情に近いような気もするけれど、最終的には「正式にお付き合い」を申し込みをしてしまうのがなんとも、おかしい。男と女の間には、シリアスな面もあるけれど、どこかユーモラスでおかしみがある。
この『センセイの鞄』が出た当時、この作品に関してはちょっと個人的な思い出がある。というのも、私にも「センセイ」と呼ぶ人がいたからだ。「センセイ」ほど年輩ではなかったけれど、倍以上離れていたので、感覚的には状況が似ていた。二人でお酒を飲んだりお茶を飲んだり、彼が講釈をたれて、私が「はあ」「はあ」と頷く。。。
なんとも、ゆるゆると、まったりした時間を一緒に過ごした。
これは私の認識と同じだ。これが大人になるということだと思っている。年齢とともに寂しさや、甘みを憶え、人はもろくなる。何かを知っていくのは恐怖を増やすこと。そこには責任が伴うからだ。誰かを本当に知ってしまったら、その人に対して責任が生まれる。自分が死んだら、その人が悲しむだろうという恐怖。あるいはその人が、いなくなったら。そういう寂しさや、恐怖を知ってしまうのが大人になることだと思う。それはある意味では自分の中に抱えている、小さな子供を自覚することでもある。だから「すっかり子供じみた人間になってしまった」という感覚はとても共感した。
一人だったツキコさんが「一緒であることがまっとうな」存在を得たときから、いつかいなくなってしまう寂しさが生まれる。でもそれは寂しいと同時に、他者の存在を、そのあたたかみを感ずることでもある。
一人では孤独を味わえないということを、考えさせてくれる『センセイの鞄』でした。
TB:しまちさん
本を読む女。改訂版さん
小説物語さん
なんとも、ゆるゆると、まったりした時間を一緒に過ごした。
小学校のころ、わたしはずいぶんと、大人だった。しかし中学、高校、と時間が進むにつれて、はんたいに大人でなくなっていった。さらに時間がたつと、すっかり子供じみた人間になってしまった。時間と仲良くできない質なのか もしれない。
これは私の認識と同じだ。これが大人になるということだと思っている。年齢とともに寂しさや、甘みを憶え、人はもろくなる。何かを知っていくのは恐怖を増やすこと。そこには責任が伴うからだ。誰かを本当に知ってしまったら、その人に対して責任が生まれる。自分が死んだら、その人が悲しむだろうという恐怖。あるいはその人が、いなくなったら。そういう寂しさや、恐怖を知ってしまうのが大人になることだと思う。それはある意味では自分の中に抱えている、小さな子供を自覚することでもある。だから「すっかり子供じみた人間になってしまった」という感覚はとても共感した。
そういえば、センセイとばかり一緒だった。
センセイと近しくなる前は、それならば、誰と一緒だったかと考えるが、思いつかない。
一人だった。
センセイと近しくなる前は、それならば、誰と一緒だったかと考えるが、思いつかない。
一人だった。
一人だったツキコさんが「一緒であることがまっとうな」存在を得たときから、いつかいなくなってしまう寂しさが生まれる。でもそれは寂しいと同時に、他者の存在を、そのあたたかみを感ずることでもある。
一人では孤独を味わえないということを、考えさせてくれる『センセイの鞄』でした。
TB:しまちさん
本を読む女。改訂版さん
小説物語さん
『真鶴』 川上弘美
| 真鶴 | |
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内容(「MARC」データベースより)
失踪した夫を思いつつ、恋人の青茲と付き合う京は、夫、礼の日記に、「真鶴」という文字を見つける。“ついてくるもの”にひかれて「真鶴」へ向かう京。夫は「真鶴」にいるのか? 『文学界』連載を単行本化。 平成18年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞作
失踪した夫の「不在」の物語。主人公は中年の女性、母親と、思春期の娘と暮らしている。恋人(妻帯者だが)もいる。失踪した夫の日記には、ただ一言「真鶴」と記されていた。「ついてくるもの」にみちびかれるように真鶴へと向かう。そこに夫はいるのか。
これは、「存在」をめぐる小説だと思う。夫は、実際には(リアルにはと言う意味、幻想か妄想の中では出てくる)全く出てこなくて、結局真相は謎なんだけど、いないはずの夫の存在感が強烈だ。いない、から、存在が引立つのか。主人公が執着しているからなのか。
寂しいこと。切ないこと。
何が寂しいって、あるべきはずのものがなくなることだろう。あって当たり前、いて当たり前のものがないという空白は、どうやって埋めればいいのか、途方に暮れるばかりだ。
川上さんの小説は、いつも境界が曖昧だ。森羅万象、人と人の肉体の境界線、種と種の境界線、時間、場所、あらゆるものが溶け出していく。
「ついてくるもの」という幽霊のような存在や、異なるものたちが身近なのはそういうことかもしれない。といってオカルトっぽさはなく、完全に川上ワールド的としか言いようのない幻想的な世界。
この作品はよく新境地とか、ターニングポイントとなる作品だと称されている。実際そうだろう。私が、どきっとしたのは、主人公の職業。文章を生業にしている。今までこういう設定の主人公はいなかったと思う(正確には不明)。
川上さん自身に近い職業、しかも途中から、小説を書き出す。なんだか、川上さんの生の作家としての姿勢、思いが重なっているように思えて、それが刺激的だった。まあ私小説ではないし、うそばなしを得意とする方なので、主人公と作家が一致するってことはないだろうけど、山田詠美さんが小説は「内面のノンフィクション」だと言うように、やはり真実が反映されているものだと思う。
今年から芥川賞選考委員になられた川上さん。結構早いと思うが、実績と実力から言って当然。若い、書評も卓抜で、見る目のある選考委員が増えるのは老害の問題もあると言われる芥川賞にはいいことだろう。
ところで川上さんてすごーく美人なんですよね.きれいですよね。ほんと才色兼備。同じ女性ながらうっとりしちゃう。

川上氏の他の作品では『センセイの鞄』が有名ですね。 これは読みやすいしオススメです。
絵本っぽい『椰子椰子』も気軽に読めて、初めて読むひとにもいいと思います。
TB:川上弘美さん的なもの さん
モンガの独り言 読書日記通信
Slow Lifeさん
ぼちぼちさん
粋な提案さん
『夜の公園』川上弘美
| 夜の公園 | |
![]() | 川上 弘美 中央公論新社 2006-04-22 売り上げランキング : 177518 おすすめ平均 ![]() それは公園からはじまる 他の作品を読んでみたい 下種の勘繰りと言われてしまうかもしれませんが・・・Amazonで詳しく見る by G-Tools |
内容(「BOOK」データベースより)寄り添っているのに届かないのはなぜ。恋愛の現実に深く分け入る川上弘美の新たな世界。
久しぶりに川上弘美さんの小説を読む。
新刊が溜まっていたけど、読みそびれていたもの。
短時間で読んだけど川上ワールドを堪能できて満足。
よるべないあの感じ。いろいろな恋愛関係が描かれているが結局は友情の話なんだと思う。ともかく私はそう読んだ。お互い向き合っているんじゃなくて違う道歩いていて、ふと横を見るといる、という関係の女の友情。主人公とその親友がお互いに面と向かって直接口にはしないけれど、それぞれがそれぞれの時間の中で名前を呼ぶ。それがとても切なくてちょっと涙が出た。
きっと自分にも、そういうことが、あった。あった。自己憐憫のような、自分を責めるような、甘い胸の痛み。
なんとなく江國香織の『ホーリー・ガーデン』を思い出した。ちょっと雰囲気似てるかも。
これは斎藤美奈子さんのいうところの、「妊娠小説」、ではないかな。男があわてふためいたりしてないしw
さて次は『真鶴』を読もう。
TB:粋な提案さん






ベケット?
触感の小説
下種の勘繰りと言われてしまうかもしれませんが・・・










