スカイ・クロラの記事に追記
映画「スカイ・クロラ The Sky Crawlers」の声優決定!!
菊地凛子、加瀬亮が押井守最新作「スカイ・クロラ」で声優に挑戦!
映画「スカイ・クロラ The Sky Crawlers」キャスト・まとめ
草薙水素(クサナギスイト):菊地凛子
函南優一(カンナミ・ユーイチ):加瀬亮
土岐野尚文(トキノ・ナオフミ):谷原章介
三ツ矢碧(ミツヤ・ミドリ):栗山千明
8月2日より全国公開
「スカイ・クロラ The Sky Crawlers」オフィシャルサイト
というわけで草薙水素(クサナギスイト)役に菊地凛子さん、函南優一(カンナミ・ユーイチ)役に加瀬亮さんというキャストが発表されました。
映画「スカイ・クロラ The Sky Crawlers」キャスト・まとめ
草薙水素(クサナギスイト):菊地凛子
函南優一(カンナミ・ユーイチ):加瀬亮
土岐野尚文(トキノ・ナオフミ):谷原章介
三ツ矢碧(ミツヤ・ミドリ):栗山千明
8月2日より全国公開
「スカイ・クロラ The Sky Crawlers」オフィシャルサイト
加瀬さんというと、雰囲気ぴったしという感じだが、あるとすればカンナミかと思っていた。まさか実現するとは。この二人がメインということは、『スカイ・クロラ』一作分のみの脚本か。ナ・バ・テア以降はないのかなあ。でも『スカイ・クロラ』は時系列的には一番最後なので回想としてあるかもしれない。私は、『ナ・バ・テア』が一番好きなんだ!!でないと押井さんがやると断言した「濡れ場」がないじゃあないか!いや、スカイ・クロラだけでもあったか、ベッドシーン。
まあこのスカイ・クロラには、濡れ場よりもエロティックな死の匂いがぷんぷんしてるけれども。
*以下、追記には一部ネタバレがあります。
ところで公式サイト更新されていますが、そこに見過ごせない一文が。
「全ての記憶を失って、新たな基地に赴任してきた主人公・函南優一」
ということは、『クレィドゥ・ザ・スカイ』の主人公「僕」はやはりカンナミ?いやこの一文は、原作を読んでいれば何の不自然もないのですが・・・そうとは断言できないが・・・この『クレィドゥ・ザ・スカイ』だけは図書館で借りて読んだので今手元になく確認できないのですが・・・でもなにかひっかかる。
というのも『クレィドゥ・ザ・スカイ』では僕がだれなのかよくわからないのです。
可能性があるのは人物は以下の三人。
クサナギ・スイト
カンナミ・ユーヒチ
クリタ・ジンロウ
普通にフラッタ・リンツ・ライフからの続きだと読めば、クリタかと思いきや、途中で疑問が生じる。
ネタバレだが、クリタがカンナミになるのか・・・。っていうか
クリタ=カンナミ≒クサナギなんじゃ・・・(≒ってなんだw)
という風に、登場人物だけでなく、読者の記憶も攪乱させるのが森博嗣作品です。
カンナミ・ユーヒチという人間のあやふやさ、というものがスカイ・クロラシリーズでは通奏低音になっている。
人間の存在の不確かさ、人格に対する不安、というといかにも押井守っぽいテーマ。『攻殻機動隊』の草薙素子が自身の人間としての人格に不安を抱くように、この物語でもそうしたテーマの映画になるかもしれませんね。
森博嗣さんの意図してはいつものように、曖昧に謎を残すことで読者の脳を刺激するということでしょうが、ほんとうは「僕」は三人の誰でも正しく、それでいて同時に三人の誰でもないのかもしれない。
このシリーズを読んでいると、人間の記憶とはなにか、存在とは何だろうと考えさせられる。いずれもその不確かさばかりを痛感するが。既視感。この物語から感じるもの。最初これはループ物なのかと思った。どこか既視感のあるエピソード・・・。実際そうなのだろう、繰り返される物語、繰り返される生、繰り返される死・・・。
この辺はまたシリーズを再読したときにまたまとめて書きたい。
それにしてもああ、もう5年かけて刊行されているので、記憶がごちゃごちゃになってきたw映画を見る前には「ナ・バ・テア」「ダウン・ツ・ヘヴン」「フラッタ・リンツ・ライフ」「クレィドゥ・ザ・スカイ」「スカイ・クロラ」の順に読み返そうっと!
関連記事:原作のレビュー・感想
ナ・バ・テアの感想
スカイ・クロラの感想
ダウン・ツ・ヘヴンの感想
フラッタ・リンツ・ライフの感想
「全ての記憶を失って、新たな基地に赴任してきた主人公・函南優一」
ということは、『クレィドゥ・ザ・スカイ』の主人公「僕」はやはりカンナミ?いやこの一文は、原作を読んでいれば何の不自然もないのですが・・・そうとは断言できないが・・・この『クレィドゥ・ザ・スカイ』だけは図書館で借りて読んだので今手元になく確認できないのですが・・・でもなにかひっかかる。
というのも『クレィドゥ・ザ・スカイ』では僕がだれなのかよくわからないのです。
可能性があるのは人物は以下の三人。
クサナギ・スイト
カンナミ・ユーヒチ
クリタ・ジンロウ
普通にフラッタ・リンツ・ライフからの続きだと読めば、クリタかと思いきや、途中で疑問が生じる。
ネタバレだが、クリタがカンナミになるのか・・・。っていうか
クリタ=カンナミ≒クサナギなんじゃ・・・(≒ってなんだw)
という風に、登場人物だけでなく、読者の記憶も攪乱させるのが森博嗣作品です。
カンナミ・ユーヒチという人間のあやふやさ、というものがスカイ・クロラシリーズでは通奏低音になっている。
人間の存在の不確かさ、人格に対する不安、というといかにも押井守っぽいテーマ。『攻殻機動隊』の草薙素子が自身の人間としての人格に不安を抱くように、この物語でもそうしたテーマの映画になるかもしれませんね。
森博嗣さんの意図してはいつものように、曖昧に謎を残すことで読者の脳を刺激するということでしょうが、ほんとうは「僕」は三人の誰でも正しく、それでいて同時に三人の誰でもないのかもしれない。
このシリーズを読んでいると、人間の記憶とはなにか、存在とは何だろうと考えさせられる。いずれもその不確かさばかりを痛感するが。既視感。この物語から感じるもの。最初これはループ物なのかと思った。どこか既視感のあるエピソード・・・。実際そうなのだろう、繰り返される物語、繰り返される生、繰り返される死・・・。
この辺はまたシリーズを再読したときにまたまとめて書きたい。
それにしてもああ、もう5年かけて刊行されているので、記憶がごちゃごちゃになってきたw映画を見る前には「ナ・バ・テア」「ダウン・ツ・ヘヴン」「フラッタ・リンツ・ライフ」「クレィドゥ・ザ・スカイ」「スカイ・クロラ」の順に読み返そうっと!
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封印再度 森博嗣
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犀川創平と西之園萌絵師弟コンビ(カップル?)のS&Mシリーズ。5作目。今回はシリーズ全体で言えば、ちょうど分岐点で箸休めといったところか。
あらすじ:萌絵は、犀川の妹の儀同世津子を通じて「無我の匣」「天地の瓢」の存在を知る。世津子がパソコン通信で知り合った香山マリモの家の家宝だという。それは壺の中に入った鍵を取り出して、箱を開けられるかというもの。匣と瓢にまつわる先代の香山風采の不可解な死。興味津々の萌絵は、犀川を強引に推理に巻き込む。そんな折り、香山家の現当主・林水が死体で発見され、娘のマリモも接触事故をおこしていた。。。
引用文は『禅と日本文化』(鈴木大拙)。禅と日本文化を世界に紹介した『禅と日本文化』と旧家の家宝をめぐる、禅をテーマにしたミステリィ。冒頭の引用文を一部抜粋する。
それはあきらかに短所や欠陥であるにもかかわらず、そうは感じられない。事実、この不完全そのものが完全の形になる。いうまでもなく、美とはかならずしも形の完全を指していうのではない。この不完全どころか醜というべき形のなかに、美を体現することが日本の美術家の得意の妙技(トリック)の一つである。
そして犀川は萌絵にこう語る。
「対称にできるのに、わざとちょっと崩す。完璧になれるのに、一部だけ欠けている。その微小な破壊行為が、より完璧な美を造形するのだよ」
「天地の瓢」と「無我の匣」のパズルを解きながら禅について考えさせられる。
このパズルを解く鍵は鈴木大拙は同書の中で言うこの言葉だろう。
「おそらく東洋人の最も特異の気質は、生命を外からではなく、内から把握することであろう。禅はまさにそれを掘り当てたのである。」
タイトルの『封印再度 WHO INSIDE』のダブルミーニングも、謎解き、伏線どれをとっても秀逸で美しい作品。この作品では事件の謎よりも匣と瓢の謎の方がメインである。そして萌絵と犀川の関係も。はっきり言って萌絵の行動は多くの読者の反感を買うだろうし、痛すぎだ(笑)。でも私は好みだこういう女の子。でもポイントは真剣に悩む犀川にキャラ萌えすることであって、そのための引き立て役なのだろう萌絵は。萌えキャラは犀川ですよってことで。
ちなみに森博嗣作品と京極夏彦作品は奇妙な偶然がこの作品でも見られる。章タイトルの英文は十牛図。その十牛図の解説が京極夏彦作『鉄鼠の檻』にはあります。
本作品こそ、「禅」をテーマにしたんですが、はは、どうも意図しない方向へ・・。いやいや、外していないはずです。十牛図も、鉄鼠の檻とバッティングしちゃったけど・・、まあ、いいや。そんなこんなで(どんなの?)京極夏彦氏より推薦を頂きました。こちらこそ、ごちそうさまでした.
浮遊工作室より
浮遊工作室より
森さん自身が禅の修行僧のようなストイックなお方ですが、ついに今後のスケジュールを公表されました。以前から作家はいつか引退すると仰ってましたが、ついにという感じです。
MORI LOG ACADEMY: なんとなく節目かも
さて、約束どおり、今後のことを少し書く。いつまで小説を書くかということは、もう5年以上もまえから決めていた。そのスケジュールにまったく変更はない。それに向かって着実に進んでいる。今日は、作品のことだけ書いておく。(中略)
ブログは来年の12月で予定どおり終了し、以後は、近況などは発表せず、できるかぎり表に出ないことにする。どんどん仕事を減らし(連載をやめ、取材も受けない)、人知れず静かに消えていきたい。つまり、来年12月が事実上最後の挨拶になるだろう。
やめるのが何年さきなのかは、担当編集者にはもちろん伝えてあるし、近辺では周知されている。このように予告ができることは、僕としては礼儀を尽くしているつもりだし、また自分でも幸せなことだと認識している。
ブログは来年の12月で予定どおり終了し、以後は、近況などは発表せず、できるかぎり表に出ないことにする。どんどん仕事を減らし(連載をやめ、取材も受けない)、人知れず静かに消えていきたい。つまり、来年12月が事実上最後の挨拶になるだろう。
やめるのが何年さきなのかは、担当編集者にはもちろん伝えてあるし、近辺では周知されている。このように予告ができることは、僕としては礼儀を尽くしているつもりだし、また自分でも幸せなことだと認識している。
なんだかこの文章から、照れというか人間味というか「文系的な」森博嗣を感じる。これが優しさということだと思う。寂しいけれど、作品はずっと残りますからね。しかも森さんは既に読むのが追いつけないくらい多作だし(笑)
すべてがFになる 森博嗣 (1)
| すべてがFになる―THE PERFECT INSIDER (講談社文庫) | |
![]() | 森 博嗣 講談社 1998-12 売り上げランキング : 4468 おすすめ平均 ![]() すかっと読めます 読み返してみた。改めて天才の凄さが分かった!森博嗣も真賀田四季も天才! 貴方はどっち?Amazonで詳しく見る by G-Tools |
『すべてがFになる』第一回メフィスト賞受賞作。
「先生、現実って何でしょう?」
「現実とは何か、と考える瞬間にだけ人間の思考に現れる幻想だ。」
「現実とは何か、と考える瞬間にだけ人間の思考に現れる幻想だ。」
表紙に書かれているこの会話だけでも十分お金を取れる価値がある。認識論による森ミステリィの幕開け。世界を記述する思考とは。
この『すべてがFになる』に関しては、思い入れがあるので何回かに分けて書こうと思う。というわけで一応レビュー(1)。
絶海の孤島に建ち、全てをコンピュータで統括管理されている、真賀田研究所。その研究所を統べているのは、ひとりの女性天才プログラマ・真賀田四季。彼女は14歳の時に両親を殺害した容疑で逮捕されて以来、研究所に隔離され、モニタのみで外部と接触する生活を送っていた。
島のキャンプに夏休みのゼミ旅行で訪れた、N大学工学部建築学科助教授(当時は準教授という呼称ではなかった、まだ)犀川創平とその愉快なゼミ生たち。そのグループにはN大建築学科学部一年生でありながら、幼少期からの犀川との付き合いを利用してゼミに参加している西之園萌絵の姿もあった。キャンプの初日、ひょんなことから研究所を訪ねた犀川と萌絵。真賀田四季との面会を望んでいた二人が地下室で目の当たりにしたのは、ウエディング・ドレスをまとい、両手両足を切断された若い女性の死体だった。
殺害可能な時刻に、真賀田四季の部屋に足を踏み入れたものはおらず、それは24時間監視のカメラに残されたデータも証明している。そして研究所の所長も殺害される。事件にちらちらと影を落とす真賀田四季の存在と、彼女が起こした両親殺害事件の謎。そして真賀田四季が残したメッセージ「すべてがFになる」の意味とは。
犀川創平と西之園萌絵のコンビによるS&Mシリーズ第1弾ちなみに本作は、本来シリーズ第4作であったが、編集部の判断で入れ替わり、デビュー作となったというのは、有名な話。
理系の専門用語がたくさん出てくるがそれらは、香づけのようなもので、それにとらわれる必要はないと思う。それよりも犀川先生の「自然を美しいと感じる人間の感情は自然なのか?」「僕ら研究者は何も生産していない、無責任さだけが取り柄だからね。でも、百年、二百年先のことを考えられるのは、僕らだけなんだよ。」といったスパイシィで素敵な台詞が森ミステリィの醍醐味だ。こういった機知に富んだ問題提起が森博嗣の作品にはあふれている。
ところで森博嗣は第0回メフィスト賞受賞作家と呼ばれる京極夏彦とよく比較される。それに関しては出来れば、続きを書きたい。キーワードは、もちろん、認識論。現実は不確か、だね。
島のキャンプに夏休みのゼミ旅行で訪れた、N大学工学部建築学科助教授(当時は準教授という呼称ではなかった、まだ)犀川創平とその愉快なゼミ生たち。そのグループにはN大建築学科学部一年生でありながら、幼少期からの犀川との付き合いを利用してゼミに参加している西之園萌絵の姿もあった。キャンプの初日、ひょんなことから研究所を訪ねた犀川と萌絵。真賀田四季との面会を望んでいた二人が地下室で目の当たりにしたのは、ウエディング・ドレスをまとい、両手両足を切断された若い女性の死体だった。
殺害可能な時刻に、真賀田四季の部屋に足を踏み入れたものはおらず、それは24時間監視のカメラに残されたデータも証明している。そして研究所の所長も殺害される。事件にちらちらと影を落とす真賀田四季の存在と、彼女が起こした両親殺害事件の謎。そして真賀田四季が残したメッセージ「すべてがFになる」の意味とは。
犀川創平と西之園萌絵のコンビによるS&Mシリーズ第1弾ちなみに本作は、本来シリーズ第4作であったが、編集部の判断で入れ替わり、デビュー作となったというのは、有名な話。
理系の専門用語がたくさん出てくるがそれらは、香づけのようなもので、それにとらわれる必要はないと思う。それよりも犀川先生の「自然を美しいと感じる人間の感情は自然なのか?」「僕ら研究者は何も生産していない、無責任さだけが取り柄だからね。でも、百年、二百年先のことを考えられるのは、僕らだけなんだよ。」といったスパイシィで素敵な台詞が森ミステリィの醍醐味だ。こういった機知に富んだ問題提起が森博嗣の作品にはあふれている。
ところで森博嗣は第0回メフィスト賞受賞作家と呼ばれる京極夏彦とよく比較される。それに関しては出来れば、続きを書きたい。キーワードは、もちろん、認識論。現実は不確か、だね。



トリックとしては…











