『文学的商品学』斎藤美奈子/斎藤美奈子は文学界の吉田豪か
| 文学的商品学 (文春文庫 さ 36-6) | |
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斎藤美奈子さんの文庫本を買ったのは5冊目になる。いつの間にこんなに集めていたのだろう。
この『文学的商品学』を読みながら、そして佐藤尚之さんの解説を読んで、こんなことを思ってしまった。斎藤美奈子は吉田豪に似ている、と。と言っても普通の読書家の方には、吉田豪って誰?状態かもしれないので、一応説明すると、吉田氏はタレント本の書評を得意とする、プロ書評家・プロインタビュアーである。徹底した事前調査で、インタビューする芸能人に「なんで知っているんですか?」と驚かれること数知れず。そんな吉田豪氏と(本書における)斎藤美奈子氏の共通点を挙げてみる。(但しこれは基本的に斎藤美奈子氏の『文学的商品学』についてのエントリなので吉田氏についての記述は一部省く。わかる人には、わかるという不親切な書き方になっているかもしれません。あ、タイトルは釣りです、サーセン)
参考リンク:吉田豪 - Wikipedia
1.テキスト主義
両者とも既に出版されているテキスト(本)のみに基づいて語る。吉田氏は芸能レポーターのように張り込み取材をするわけではなく、過去にそのタレントが出したタレント本をこれでもかと、読み込むことで評を展開する。斎藤氏も、その作家の過去の経歴や家庭環境などを引き合いに出すことはせず、作品本文のみからの解釈をする。国語の問題文のように、「本文を読んで」カンニングせずに問いに答えるのだ。答えは既にテキストに提示されている、しかしまだ誰も気づいていない。そういったテキスト至上主義、とでもいうべきポリシーが一貫して見受けられる。
2.1950年代〜1980年代の「ちょっと古め」を対象にしている
これは「文学的商品学」のみについてだが。本書は斎藤氏の文学評論としては「妊娠小説」以来10年ぶりだそう。本書で扱っているものも、「妊娠小説」も、ちょっと古めの本が多い。それは時期的なものもあるが、やはり彼女が1950年代〜1980年代の「中古典」を愛しているからだろう。吉田氏と言えば「喋る墓荒らし」である。昭和のスターや、ちょっと古いアイドルなど過去に対する執着は他の追随を許さない。同様に、斎藤美奈子氏も「妊娠小説」でデビューしたときから、文豪の「墓荒らし」だった。過去の名作・古典の別の一面を暴き出す彼女は、文豪からも恐ろしい、現代作家からも今一番恐れられている評論家だろう。
3.対象よりではなく、徹底して自分のフィールドに持ち込む
テーマとする対象(作品、タレント)に、寄り添うようで寄り添わず、自分の独自の観点に基づいて解体していく。つまり、自分の中に確固とした結論があってそれに向かって論を進めていく。その結論を裏打ちする証拠を、的確に抽出し引用する。この引用芸のみごとさも斎藤氏の特徴である。
4.パブリックイメージをはがす
解説で佐藤尚之氏が斎藤氏を「インターネット的」と述べているように、彼女は権威(文壇・作家)にすり寄らず、消費者の視点、読者の視点を貫いている。つまりマスコミ的でないのだ。偉大な名作にかかっている文学の高尚さ(=パブリックイメージ=アイドル性を)まさに「化粧はがし」していく。本書の中で、文学における風俗描写がいかにたいしたことないか(あるいは過剰にたいしたことあるか)を暴いてしまっている。
5.常識的な感覚を持ち合わせている
斎藤氏も吉田氏も、決して突飛な人ではなくきわめて常識人である。渡辺淳一のファッション描写を「ださい」と断ずることができるのも、普通の感覚を大事にしているからであり、「変な」ところを変だと指摘するには常識が必要なのだ。
とここまで、無茶な解釈を書きましたが、これは本書における斎藤美奈子氏の特徴のみについてを想定している。吉田氏とは扱うテーマも、文章の質も全く違うので誤解なきよう。
つまりは、ある点に着目すれば、どうとでも書けるということの証明である。
本書は、文学において「モノ」がどうように描かれるかを論じることを通して、その作品の書かれた時代・社会を消費者視点で読み解いていく極めて優秀な文芸時評となっている。「愛がないと言われるかも知れないが」とあとがきで書かれているが、本書を読むと彼女の文学に対する愛の深さと、読者に対する親切心がよく伝わってくる。小説はストーリーだけではない、細部にこそ面白さがあると言い、小説の中の「モノ」の消費のされ方を提示することで、読書体験の奥深さを私たちに教えてくれる。「小説はゆっくり読んでもいいんだ」と自分の読み方に自信の持てない私などは、自戒とともに安堵することができるのだった。
両者とも既に出版されているテキスト(本)のみに基づいて語る。吉田氏は芸能レポーターのように張り込み取材をするわけではなく、過去にそのタレントが出したタレント本をこれでもかと、読み込むことで評を展開する。斎藤氏も、その作家の過去の経歴や家庭環境などを引き合いに出すことはせず、作品本文のみからの解釈をする。国語の問題文のように、「本文を読んで」カンニングせずに問いに答えるのだ。答えは既にテキストに提示されている、しかしまだ誰も気づいていない。そういったテキスト至上主義、とでもいうべきポリシーが一貫して見受けられる。
2.1950年代〜1980年代の「ちょっと古め」を対象にしている
これは「文学的商品学」のみについてだが。本書は斎藤氏の文学評論としては「妊娠小説」以来10年ぶりだそう。本書で扱っているものも、「妊娠小説」も、ちょっと古めの本が多い。それは時期的なものもあるが、やはり彼女が1950年代〜1980年代の「中古典」を愛しているからだろう。吉田氏と言えば「喋る墓荒らし」である。昭和のスターや、ちょっと古いアイドルなど過去に対する執着は他の追随を許さない。同様に、斎藤美奈子氏も「妊娠小説」でデビューしたときから、文豪の「墓荒らし」だった。過去の名作・古典の別の一面を暴き出す彼女は、文豪からも恐ろしい、現代作家からも今一番恐れられている評論家だろう。
3.対象よりではなく、徹底して自分のフィールドに持ち込む
テーマとする対象(作品、タレント)に、寄り添うようで寄り添わず、自分の独自の観点に基づいて解体していく。つまり、自分の中に確固とした結論があってそれに向かって論を進めていく。その結論を裏打ちする証拠を、的確に抽出し引用する。この引用芸のみごとさも斎藤氏の特徴である。
4.パブリックイメージをはがす
解説で佐藤尚之氏が斎藤氏を「インターネット的」と述べているように、彼女は権威(文壇・作家)にすり寄らず、消費者の視点、読者の視点を貫いている。つまりマスコミ的でないのだ。偉大な名作にかかっている文学の高尚さ(=パブリックイメージ=アイドル性を)まさに「化粧はがし」していく。本書の中で、文学における風俗描写がいかにたいしたことないか(あるいは過剰にたいしたことあるか)を暴いてしまっている。
5.常識的な感覚を持ち合わせている
斎藤氏も吉田氏も、決して突飛な人ではなくきわめて常識人である。渡辺淳一のファッション描写を「ださい」と断ずることができるのも、普通の感覚を大事にしているからであり、「変な」ところを変だと指摘するには常識が必要なのだ。
とここまで、無茶な解釈を書きましたが、これは本書における斎藤美奈子氏の特徴のみについてを想定している。吉田氏とは扱うテーマも、文章の質も全く違うので誤解なきよう。
つまりは、ある点に着目すれば、どうとでも書けるということの証明である。
本書は、文学において「モノ」がどうように描かれるかを論じることを通して、その作品の書かれた時代・社会を消費者視点で読み解いていく極めて優秀な文芸時評となっている。「愛がないと言われるかも知れないが」とあとがきで書かれているが、本書を読むと彼女の文学に対する愛の深さと、読者に対する親切心がよく伝わってくる。小説はストーリーだけではない、細部にこそ面白さがあると言い、小説の中の「モノ」の消費のされ方を提示することで、読書体験の奥深さを私たちに教えてくれる。「小説はゆっくり読んでもいいんだ」と自分の読み方に自信の持てない私などは、自戒とともに安堵することができるのだった。



現代文学は果たしてカタログとして機能するか?
後半ネタ切れした感はあるものの充分楽しめます。笑えます。











