孤独について 生きるのが困難な人々へ 中島義道
出版社/著者からの内容紹介 人とは常に距離をおきたい、必要な時だけ愛がほしい…。自由でありたい、孤独に生きたい、そんなあなたへ贈る「孤独」を哲学する本 凄絶な孤独体験をもとに敢えて孤独を選び直し、それを贅沢に活用する人生のヒントを紹介。「戦う哲学者」として、正真正銘の偏屈者として有名な中島義道さんの著書です。最初に読んだ一冊ですね。高校卒業後初めての一人暮らしの孤独なアパートで読んだことを、よく覚えています。それは、家族の「呪縛」から解放されて得た「孤独」でもあった訳ですが。
中島義道さんの本は、本当に面白い。ひねた人って一杯いるんだな、私だけじゃないんだと読者を安心させてくれます。
この本は、生きづらさを感じている人にとって、そうそう、と笑えるとともに、笑えない痛みを伴う「血の言葉」が詰まっています。 例えば以下の子供の頃の家族についての描写は、何かを思い起こさせ、ぞっとします。
その場ではニコニコと世間体を取り繕って、隠れて後でぐちぐちと子供に八つ当たりをする親。お風呂場で「お母さんが恥ずかしい」と子供の体をつねる母親。叱るならその場で叱ればいいものを、たいした理由でもない自分の見栄だけだから、隠れて折檻するのだ。
こういった、「呪い」とでも言いたくなるような、記憶はいつまでも忘れないものだ。
中島さんはこの本を書くときそういった苦しみを再体験して、さぞつらかっただろうと想像する。それくらい、「血の言葉」は強烈で、胸に迫ってくる。ほんと、正直読みながら泣きました。なんか、悔しくて。 悔しくて泣くというのは、子供の頃からの私の癖です。悲しいとか、そういう理由で涙が出るほど上品な人間ではない。自分の矮小な悩みと、理不尽さに悔しくて泣く。ひどく子供じみていると思うが、理不尽さに地団駄踏むやりきれなさほど、強い感情はないと思う。 子供の頃の世界に対する絶望を、これでもかと思い出される。そしてそれは、死ぬまでつきまとうのだと。 日常で死の恐怖、世界の残酷さを覆い隠していても、
「ごまかすのはやめなさい!あなたはまもなく死んでしまうのだ」
生きづらさを感じている人間が、生きる道は孤独になること。だが本書でいう孤独とは「一人の時間を大切しよう」とかそういったおためごかしの響きのいい処世術ではない。孤独になることとは、日常で覆い被さったごまかしをはらい、自分の「死」を透明に浮かび上がらせることである。自分の純粋な不幸を骨の髄まで実感すること。
もちろんこれは万人に受け入れられる生き方ではない。が、 「あなたは死ぬまであなたのぬるま湯の日常生活を続けるがいい。そして、小さな薄汚い世間体を抱えたまま「これでよかった」と呟いて死ねばよい。」という言葉にひっかかりを覚えるのなら、一度耳を傾けてみる価値があると思う。
「人生を<半分>降りる」。著者は実際会うと、文章の偏屈さからはとても想像できないほど、フレンドリーで社会的に見えるらしい。半分は日常を圧縮してある程度の世間体を保ち、スムーズにする。が心は人生を「いちぬーけた」と思っている。
私はこの本を読んで、本当に涙が出るほど共感したが、それでもこの生き方を実践するには躊躇する。自分の死を、人生の残酷さを本当に直視する勇気がないからだ。中島さんのように徹底した頑さはないし。が、この「人生を<半分>降りる」というフレーズや「広大な空っぽの宇宙の中で私はまもなく死んでしまう」という言葉は、息苦しさを少し和らいでくれる。とりあえず「半分降りてみるか」お守りのようにこれらの言葉を胸にとしまいこんでおくだけでもずいぶんと効果がある。
この本のを読んで中島義道さんに興味を持たれた方は、続編とでも言うべき「カイン―自分の「弱さ」に悩むきみへ (新潮文庫)」もおすすめです。偏屈っぷりを堪能したいなら「うるさい日本の私 (新潮文庫)」や「偏食的生き方のすすめ (新潮文庫)」も。痛快です。












