それでもボクはやってない(TV放映版)を見て
土曜プレミアム劇場でやっていた映画「それでもボクはやってない」を観た。これはおそらく相当なカット編集がなされていたようなので今度完全版をDVDで観たいと思う。といってもラストは多分そのままだと思うけど。
開始20分くらいで既に涙が出てきた。あまりの理不尽さに。やはり私の涙腺は「理不尽」「不条理」「やりきれなさ」に弱い。これが自分だったらと、想像すると恐ろしい。留置所に入れられた段階で、刑事の取り調べを受ける段階で泣き出しているだろう。
が、私は女なのでとりあえず痴漢冤罪の心配はない。女性によるセクハラや性犯罪ももちろんあるが、痴漢行為で加害者として疑われることはまずないだろう。なので本当の意味で痴漢冤罪の恐怖を共感しているとは言えないかもしれない。悔しいけれど。男性の視聴者の多くはきっと「女は良いよな」という思いがあると思う。それは仕方がない。私だって映画の被害者の女子中学生に「曖昧なこと言うな」と苛立ちを覚えた。(といって彼女が悪いわけではないが。この女子中学生だって実際に痴漢に遭ってつらい思いをし、さらに取り調べでも嫌な思いをしただろう。)
女性差別があるように男性差別があるのも事実なのだ。女性も男性も、本当の意味で対等にお互いのことを思いやらなければいけない。
ところで私も電車内の痴漢にあったことがあるが、「痴漢です」「やめてください」と声を出した事は一度もない。というか声を出せなかった。
高校生の頃、通学の電車内での事だがその日はいつもより混んでいてぎゅうぎゅう詰めで身動きが取れない車内状況だった。しかも運悪くその日は友人がおらず一人だった。DQN4人に囲まれていきなり胸を肘でつつかれた。無理矢理体を押しつけてくるし目の前で胸をつかんでるので誰がやっているかははっきり分かっていた。しかもニヤニヤ笑っている。私は囲まれて動けないし、どうしようもないし、恥ずかしいわで、うつむいてしまった。これは複数だったし痴漢というより、嫌がらせ、からまれたというのが正しいのかもしれない。すぐ近くにいた女の子は気付いていたらしくかわいそうという目でみていた。多分何人かは気づいていたと思う。がみんな中学生っぽかったし、DQN4人は柄がわるくて怖そうだったのでどうしようも無かった。私は怖いと言うより、痴漢に遭っているという事が恥ずかしくてただひたすら我慢していた。電車を降りてから、急速に腑煮えくりかえる位、怒りがこみ上げてきた。線路に突き落としたい位だった。位じゃなくてほんとに突き落としたかった。でももう犯人は人混みに消えてしまった。
本来なら電車内のその場で騒ぐべきだったのだ。電車を降りてからでは遅い。
映画のラストで主人公が判決理由を聞きながら独白するシーン。
「『真実は神のみぞ知る』という裁判官がいたそうだが、それは違う。ぼくは、ぼくだけが真実を知っている」というような内容だったと思う。
人は結局、主観でしか生きられないということ。自分の経験、体験・記憶は自己の身体という境界線の中にしか存在せず、それを他者と共有することはできない。100%の客観なんて、ない。その圧倒的な孤独感にまた泣いた。
しかしながら、それでも人の頭の中を伝える事はできると信じたい。主観から客観に近づくために、100%の客観に少しでも近づくために努力を惜しまないのが人間だ。そのために裁判があるのだと思っていたが、日本ではどうもちょっと違うらしい。
絶望的なラストで、見終わった後すっきりする映画ではない。が、本来そういうものが映画だし、観客に引きずらせ、考えさせるのが映画ってものだと思う。泣かせて、感動させて、カタルシスを与えて、見終わった後は何も残らないという、最近多い「死にオチ」感動映画は、抜くためのAVと変わらないと思う。そういう作品も必要だというのは分かるが。そればっかじゃあね。
というわけで、久々に考えさせられる良質の映画を観れた。
*映画で裁判傍聴マニアらしき男が出てきて、主人公に「やったんだろ」というが、あれは阿蘇山大噴火がモデルらしい(笑)です。ストリームのコラムの花道で阿蘇山さんが周防監督に「いやアレは、君みたいだけど、映画の為にデフォルメしたっていうか・・」とかなんとか謝られたと言ってましたw阿蘇山さんご本人は偏見のない、頭の良い方ですよ。
開始20分くらいで既に涙が出てきた。あまりの理不尽さに。やはり私の涙腺は「理不尽」「不条理」「やりきれなさ」に弱い。これが自分だったらと、想像すると恐ろしい。留置所に入れられた段階で、刑事の取り調べを受ける段階で泣き出しているだろう。
が、私は女なのでとりあえず痴漢冤罪の心配はない。女性によるセクハラや性犯罪ももちろんあるが、痴漢行為で加害者として疑われることはまずないだろう。なので本当の意味で痴漢冤罪の恐怖を共感しているとは言えないかもしれない。悔しいけれど。男性の視聴者の多くはきっと「女は良いよな」という思いがあると思う。それは仕方がない。私だって映画の被害者の女子中学生に「曖昧なこと言うな」と苛立ちを覚えた。(といって彼女が悪いわけではないが。この女子中学生だって実際に痴漢に遭ってつらい思いをし、さらに取り調べでも嫌な思いをしただろう。)
女性差別があるように男性差別があるのも事実なのだ。女性も男性も、本当の意味で対等にお互いのことを思いやらなければいけない。
ところで私も電車内の痴漢にあったことがあるが、「痴漢です」「やめてください」と声を出した事は一度もない。というか声を出せなかった。
高校生の頃、通学の電車内での事だがその日はいつもより混んでいてぎゅうぎゅう詰めで身動きが取れない車内状況だった。しかも運悪くその日は友人がおらず一人だった。DQN4人に囲まれていきなり胸を肘でつつかれた。無理矢理体を押しつけてくるし目の前で胸をつかんでるので誰がやっているかははっきり分かっていた。しかもニヤニヤ笑っている。私は囲まれて動けないし、どうしようもないし、恥ずかしいわで、うつむいてしまった。これは複数だったし痴漢というより、嫌がらせ、からまれたというのが正しいのかもしれない。すぐ近くにいた女の子は気付いていたらしくかわいそうという目でみていた。多分何人かは気づいていたと思う。がみんな中学生っぽかったし、DQN4人は柄がわるくて怖そうだったのでどうしようも無かった。私は怖いと言うより、痴漢に遭っているという事が恥ずかしくてただひたすら我慢していた。電車を降りてから、急速に腑煮えくりかえる位、怒りがこみ上げてきた。線路に突き落としたい位だった。位じゃなくてほんとに突き落としたかった。でももう犯人は人混みに消えてしまった。
本来なら電車内のその場で騒ぐべきだったのだ。電車を降りてからでは遅い。
映画のラストで主人公が判決理由を聞きながら独白するシーン。
「『真実は神のみぞ知る』という裁判官がいたそうだが、それは違う。ぼくは、ぼくだけが真実を知っている」というような内容だったと思う。
人は結局、主観でしか生きられないということ。自分の経験、体験・記憶は自己の身体という境界線の中にしか存在せず、それを他者と共有することはできない。100%の客観なんて、ない。その圧倒的な孤独感にまた泣いた。
しかしながら、それでも人の頭の中を伝える事はできると信じたい。主観から客観に近づくために、100%の客観に少しでも近づくために努力を惜しまないのが人間だ。そのために裁判があるのだと思っていたが、日本ではどうもちょっと違うらしい。
絶望的なラストで、見終わった後すっきりする映画ではない。が、本来そういうものが映画だし、観客に引きずらせ、考えさせるのが映画ってものだと思う。泣かせて、感動させて、カタルシスを与えて、見終わった後は何も残らないという、最近多い「死にオチ」感動映画は、抜くためのAVと変わらないと思う。そういう作品も必要だというのは分かるが。そればっかじゃあね。
というわけで、久々に考えさせられる良質の映画を観れた。
*映画で裁判傍聴マニアらしき男が出てきて、主人公に「やったんだろ」というが、あれは阿蘇山大噴火がモデルらしい(笑)です。ストリームのコラムの花道で阿蘇山さんが周防監督に「いやアレは、君みたいだけど、映画の為にデフォルメしたっていうか・・」とかなんとか謝られたと言ってましたw阿蘇山さんご本人は偏見のない、頭の良い方ですよ。
















