センセイの鞄 川上弘美

(「BOOK」データベースより)
「センセイ」とわたしが、過ごした、あわあわと、そして色濃く流れゆく日々。川上弘美、待望の最新長篇恋愛小説。
「ツキコさん、デートをいたしましょう」
ああ、私もセンセイに頭を撫でられたり、デートに誘われたい!と思った女性読者はたくさんいたのではないだろうか。非常に美しい、ふたりの関係。これは恋愛なんだろうか。どちらかといえば、友情に近いような気もするけれど、最終的には「正式にお付き合い」を申し込みをしてしまうのがなんとも、おかしい。男と女の間には、シリアスな面もあるけれど、どこかユーモラスでおかしみがある。
この『センセイの鞄』が出た当時、この作品に関してはちょっと個人的な思い出がある。というのも、私にも「センセイ」と呼ぶ人がいたからだ。「センセイ」ほど年輩ではなかったけれど、倍以上離れていたので、感覚的には状況が似ていた。二人でお酒を飲んだりお茶を飲んだり、彼が講釈をたれて、私が「はあ」「はあ」と頷く。。。
なんとも、ゆるゆると、まったりした時間を一緒に過ごした。
これは私の認識と同じだ。これが大人になるということだと思っている。年齢とともに寂しさや、甘みを憶え、人はもろくなる。何かを知っていくのは恐怖を増やすこと。そこには責任が伴うからだ。誰かを本当に知ってしまったら、その人に対して責任が生まれる。自分が死んだら、その人が悲しむだろうという恐怖。あるいはその人が、いなくなったら。そういう寂しさや、恐怖を知ってしまうのが大人になることだと思う。それはある意味では自分の中に抱えている、小さな子供を自覚することでもある。だから「すっかり子供じみた人間になってしまった」という感覚はとても共感した。
一人だったツキコさんが「一緒であることがまっとうな」存在を得たときから、いつかいなくなってしまう寂しさが生まれる。でもそれは寂しいと同時に、他者の存在を、そのあたたかみを感ずることでもある。
一人では孤独を味わえないということを、考えさせてくれる『センセイの鞄』でした。
TB:しまちさん
本を読む女。改訂版さん
小説物語さん
なんとも、ゆるゆると、まったりした時間を一緒に過ごした。
小学校のころ、わたしはずいぶんと、大人だった。しかし中学、高校、と時間が進むにつれて、はんたいに大人でなくなっていった。さらに時間がたつと、すっかり子供じみた人間になってしまった。時間と仲良くできない質なのか もしれない。
これは私の認識と同じだ。これが大人になるということだと思っている。年齢とともに寂しさや、甘みを憶え、人はもろくなる。何かを知っていくのは恐怖を増やすこと。そこには責任が伴うからだ。誰かを本当に知ってしまったら、その人に対して責任が生まれる。自分が死んだら、その人が悲しむだろうという恐怖。あるいはその人が、いなくなったら。そういう寂しさや、恐怖を知ってしまうのが大人になることだと思う。それはある意味では自分の中に抱えている、小さな子供を自覚することでもある。だから「すっかり子供じみた人間になってしまった」という感覚はとても共感した。
そういえば、センセイとばかり一緒だった。
センセイと近しくなる前は、それならば、誰と一緒だったかと考えるが、思いつかない。
一人だった。
センセイと近しくなる前は、それならば、誰と一緒だったかと考えるが、思いつかない。
一人だった。
一人だったツキコさんが「一緒であることがまっとうな」存在を得たときから、いつかいなくなってしまう寂しさが生まれる。でもそれは寂しいと同時に、他者の存在を、そのあたたかみを感ずることでもある。
一人では孤独を味わえないということを、考えさせてくれる『センセイの鞄』でした。
TB:しまちさん
本を読む女。改訂版さん
小説物語さん



そもそも論
社内文書を読まされている感じ











